公立学校で授業の始まりに“1分間の祈り”(1985年6月5日 ニューヨーク)
「学校に祈りの復活を」
【ニューヨーク】公立学校で授業の始まりに“1分間の祈り”を認めるかどうかをめぐり、米国の世論は2つに割れて対立し、政治問題にまで発展しているが、米連邦最高裁は1985年6月4日、「州法が黙とうの時間を認めるのは、国家と宗教分離の原則に反しており、違憲無効」との判決を下した。米国の半数近くの州法の規定が、6月4日の判決で影響を受ける。さらに、レーガン政権は保守勢力とともに「学校に祈りの復活を」と主張してきただけに、憲法修正を目指す勢力にも打撃を与える判決となった。
清教徒を建国の祖とし、家庭、社会に宗教色の濃い米国
半数の州法に影響
清教徒を建国の祖とし、家庭、社会に宗教色の濃い米国で、「公立学校での祈り」は根深い争点となったきた。かつて、公立学校の教室の1日は、教師の指導で聖書の一節を生徒たちが唱和し、次に米国旗に向かって「忠誠の誓い」の言葉を唱えて始まった。だが、“人種のるつぼ”の国とあって宗教も様々なため、非キリスト教徒が反発し、1962年に最高裁が公立学校での祈りを違憲として禁じる判決を出した。
「黙想または自発的祈り」を公立学校に認める法律が制定
このあと、宗教勢力は「声に出すから『特定宗教の強制』の問題になる。“黙とう”なら異なる宗教の生徒も自分自身の祈りができるではないか」と主張。24州で、1分以内の「黙想または自発的祈り」を公立学校に認める法律が制定された。
大統領選でも争点の1つに
さらに、レーガン政権は保守的宗教勢力とともに、「公立学校に祈りの復活を」と唱え、1984年の大統領選でも争点の1つにするほどの力の入れよう。1962年最高裁判例を覆すため、連邦憲法を修正すべしと、議会への働きかけを続けた。
アラバマ州法の規定、判決は6対3
今回争われたのは、アラバマ州法の規定で、アラバマ州の弁護士が連邦憲法違反を主張して提訴。1審は州側の勝ちだったが、2審で逆転し、最高裁がその2審判決を支持した。判決は6対3だった。
宗教に対し完全に中立的姿勢を取らねばならない政府の原則に反している
多数意見を書いたスチーブンス判事は「州法規定の『または自発的祈り』の表現は、それが望ましいとの州の判断を暗示するもので、宗教に対し完全に中立的姿勢を取らねばならない政府の原則に反している」と、政教分離の厳守を説いた。黙とうであっても、州法で規定するのは憲法違反であるとし、1962年判例を1歩進める判断となった。
「知る権利」米の弁護士招き講演会
国民の知る権利(1988年11月24日 自由人権協会)
1988年が世界人権宣言40周年にあたることを記念して、言論・出版の自由を守るため活躍しているフロイド・エイブラムズ弁護士を米国から講師として招き、国民の知る権利について考える講演会が、1988年11月24日午後1時から、第2東京弁護士会3階講堂(千代田区霞が関1の1の4)で開かれるのを皮切りに3日間連続で催される。
国を相手に裁判を起こしているローレンス・レペタ氏も通訳として参加
3回の講演会には、法廷で傍聴人メモを取れないのは憲法違反だとして、国を相手に裁判を起こしているローレンス・レペタ氏も通訳として参加する。エイブラムズ弁護士を招いた社団法人自由人権協会の近藤卓史弁護士は「国民の知る権利を保障することは、民主主義の発展に最も大切なことであり、外国の例と比較しながら日本の現状について考えていきたい」としている。
エイブラムズ弁護士
エイブラムズ弁護士は、言論・出版の自由を定めた米合衆国憲法修正第一条に関する事件を扱う第一人者。現在、米国法曹協会訴訟部会「表現の自由に関する委員会」の委員長を務めている。ニューヨーク・タイムズ紙の顧問弁護士でもあり、1971年、米政府がニューヨーク・タイムズ紙などに対し、国防総省のベトナム戦争に関する秘密文書の記事掲載差し止めを求めた裁判「ペンタゴンペーパーズ事件」で「国家の安全に直接かつ重大な損害を及ぼすことが政府によって立証されないかぎり、憲法修正第1条による言論・報道の自由はすべてに優先する」との判決を引き出した立役者。
日本での知る権利について~近藤弁護士
一方、日本での知る権利について、近藤弁護士は「地方レベルで情報公開法の制度化は進んでいるものの、国レベルでの同法制定の動きはさっぱり。それなのに国家秘密法(スパイ防止法)だけは制定の動きが活発」と指摘する。
また、裁判所では、当事者、代理人及び報道関係者以外の傍聴人については、法廷でのメモを原則的に禁止している。レペタ氏の法廷メモ禁止の当否については、現在最高裁で審理中。
講演会についての問い会わせ
11月25日と26日は別の会場になるため、講演会についての問い会わせは、自由人権協会へ。
ビッグモロー氏の事故、制作者ら無罪
米映画俳優、撮影中のヘリコプターの墜落事故
1987年5月30日
2人のベトナム人の子供と一緒に死亡
【ニューヨーク】「コンバット」のサンダース軍曹役で日本でも人気のあった米映画俳優、ビック・モロー氏(当時50歳)が1982年7月、映画「トワイライト・ゾーン」の撮影中に、ヘリコプターの墜落事故に巻き起まれ、2人のベトナム人の子供と一緒に死亡した事故で、米ロサンゼルス地裁は1987年5月29日、未必の故意による殺人罪に問われていた製作者のジョン・ランディス氏やヘリコプター・パイロット、撮影責任者など5人に対し、無罪の判決を言い渡した。
ベトナム戦争を素材
ヘリコプターの墜落事故はベトナム戦争を素材にし、周囲に爆弾がさく裂する中、ビック・モローが子供を助けるというシーンの撮影中に起きたもので、模擬爆弾の破裂で飛び散った石が空撮中のヘリに当たり、3人の上へ墜落した。
1982年当時はいくつかの過失や違法行為が指摘されていた
子供たちを不法に危険な撮影に使ったことや、ヘリが低空で飛びすぎたこと、模擬爆弾の威力が強すぎたことなど、1982年当時はいくつかの過失や違法行為が指摘され、ハリウッド映画界もこれを機に大がかりな特撮ものの製作を自粛してきた。
裁判は弁護側主導
しかし、未必の故意による殺人という最も厳しい罪名で起訴したことと、担当検事が法廷で感情的に被告を攻撃したこと、映画会社が米国でも有数の7人の弁護士をそろえたことなどから、裁判は弁護側主導で進み結局、陪審は無罪の評決を下した。
映画会社は特撮映画の制作再開に動き出す構え
この判決により映画会社は特撮映画の制作再開に動き出す構えだが、撮影セットでの特撮という明らかに人為的事故で3人の生命が奪われたのに、何の罪にも問われないことに対し、俳優組合などから強い反発が起き、裁判自体のあり方を問う声も出ている。
砂糖盗み食いの幼女、罪の塩効きすぎで死ぬ
米で母が殺人罪に
母親が罰として大量の塩を食べさせたところ心臓発作を起こし死亡する事件(1988年12月15日 ニューヨーク)
【ニューヨーク】米バージニア州で、砂糖を盗み食いした4歳の少女に、母親が罰として大量の塩を食べさせたところ心臓発作を起こし死亡する事件があり、同州地裁は1988年12月14日、母親に殺人罪で20年の懲役刑を科す判決を言い渡した。
母親は日ごろからしつけが厳しかった
事件があったのは1988年5月。米バージニア州サレム市に住むヘザー・キッグスちゃん(当時4つ)が甘いものほしさに、こっそり台所の砂糖をなめているのを母親のベス・キッグスが見つけた。ベスは日ごろからしつけが厳しく、とくにヘザーちゃんの甘いもの好きを直そうとしていつもは部屋にカギをかけ勝手にものを食べさせないようにしていた。ベスはヘザーちゃんに、罰として塩の塊まりを食べるよう命じ、無理矢理口に突っ込んで食べさせた。
胃が塩を大量に吸収して極端に収縮し、間もなく心臓機能が停止
ベスは塩の量を覚えていなかったが、解剖の結果、一辺7・5センチの立方体に相当する塊と分かった。これは体重75キロの大人でも死亡する量。わずか12キロのヘザーちゃんは約2時間後、病院へ運ばれた時は既に意識がなく、医師は「レントゲンでみたところ、ヘザーちゃんの胃は塩を大量に吸収して極端に収縮し、間もなく心臓機能が停止した」と証言した。
「常識の範囲を超えている」と殺人罪で有罪
ベスの弁護士は「知識がなかっただけで娘に害を与えるつもりはなかった」と過失致死罪を主張したがトラビュー判事は「常識の範囲を超えている」と殺人罪で有罪とした。
ヘザーちゃんは生まれて間もなくキッグス家に引き取られた養女。ベスは食べ物にうるさい以外は普通の母親だったという。
イメルダ夫人に無罪判決
公金横領事件でNY連邦地裁、富豪・カショギ氏も
1990年7月3日,NY
【ニューヨーク】イメルダ・マルコス前フィリピン大統領夫人の公金横領事件などを審理していたニューヨーク連邦地裁の陪審は1990年7月2日、イメルダ・マルコス前フィリピン大統領夫人と、マルコス夫妻の“代理人”で資産隠匿に手を貸したとされるサウジアラビアの大富豪、アドナン・カショギ氏の両者を無罪とする評決を下した。
喪服姿の元ファースト・レディー
起訴状によると、マルコス夫妻は1972年から米国へ亡命する1986年までの間に、フィリピン政府の公金2億2200万ドル(約340億円)を横領、ニューヨークなどの不動産や宝石、美術品購入に充てていた。マルコス前大統領が1989年9月、ハワイで病死したため、1990年3月からの審理では喪服姿の元ファースト・レディーが一人矢面に立ち、米国で他国の指導者を初めて裁く裁判として大きな注目を集めていた。
公判には95人の証人が出廷
公判には95人の証人が出廷し、検察側からは銀行の記録、レシート、手紙など5900ページにものぼる証拠品が提出されて審理されてきた。陪審員は5日間の評議の末、無罪評決を下した。その瞬間、法廷内のマルコス支持者は大歓声をあげた。ちょうど7月2日は、61歳の誕生日を迎えたイメルダ夫人は涙で顔をくしゃくしゃにし、やり手と評判のジェリー・スペンス弁護士と抱き合い喜びをわかちあった。
ただ夫を愛し、支持していたということでは有罪である
裁判所の外でイメルダ夫人は「これで重荷がとれました。どうもありがとう」と涙声。かたわらのスペンス弁護士は「夫人は世界的な買い物客だが、夫の富の出所については知らなかった」と言い、最終弁論では「夫人は、ただ夫を愛し、支持していたということでは有罪である」と巧みなレトリックで陪審員に訴えていた。
婦人陪審長のキャサリン・ボルトン「陪審員を納得させるものは何もなかった」
婦人陪審長のキャサリン・ボルトンさんは「準備不足の裁判。陪審員を納得させるものは何もなかった」と話し、証拠不十分が無罪の理由であることをうかがわせた。
米国人のみ解雇は違法差別、松下に賠償命令
損害賠償請求訴訟
1990年12月12日 ニューヨーク
米連邦地裁、米国人のみの人員合理化について
【ニューヨーク】松下電器産業の子会社である家電販売会社クエーザー(米イリノイ州)を相手取り元従業員3人が、人員合理化で米国人のみを解雇したのは違法であるとして、シカゴの米連邦地裁に起こしていた損害賠償請求訴訟で、シカゴの米連邦地裁が原告の訴えを認め総額約250万ドルの支払いをクエーザーに命じる判決を下していたことが1990年12月11日明らかになった。
国籍に基づく違法な差別
ジェームズ・アレシア判事の12月7日付判決によると、クエーザーは1986年に実施した人員合理化で、幹部約80人(日本人9人を含む)についても日本人全員と米国人14人の計23人だけを残し解雇したが、これは国籍に基づく違法な差別であるとしている。
原告側弁護士は「意義深い判決であり、外国企業の参入が自由だからといって米国人を差別してはやっていけないことが示された」といっている。
だれを残すかの判断は能力に応じてなされたと主張
クエーザー側は裁判の過程で、だれを残すかの判断は能力に応じてなされたと主張していた。12月11日現在、米国松下は「控訴するかどうか検討中」としている。
クエーザー社
クエーザー社はモトローラ社のテレビ生産部門だったが1974年に松下が買収し、現在はテレビや電子レンジなどの販売会社となっている。